瑞光寺は曹洞宗で500年以上の歴史があるお寺です。 | 心が洗われる身近なお寺 曹洞宗 瑞光寺
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瑞光寺の歴史

曹洞宗格地の称号を持つ、禅宗の古刹である。

名 称 玉田山瑞光寺
宗 派 曹洞宗
総本山 大本山永平寺及び大本山総持寺
所在地 栃木県鹿沼市玉田町748
創 建 長享元年(室町時代)

全国に末寺1377寺を有て元禄6年大本山永平寺より、別格地の称号を賜わり、又、徳川家光より御朱印地20石を賜わる。境内地は、3万坪を有し、近年諸堂を新築し、境内地を整備し、現在に至る。
近年は開かれた寺を旨として、墓地、永代供養塔等、信徒の要望に応じて居り、正に自然に恵まれた寺である。

瑞光禅寺開基縁起

瑞光禅寺開基縁起

玉田山瑞光寺は、江戸幕府の御朱印寺、徳川氏の祈願寺にして、門葉百三十七々寺、益之永謙禅師開闢の法窟なり。

室町時代の十五世紀半頃、益之永謙禅師は世俗の紅塵を離れて、身を玉田之山間に投じて修行し、石上(寺内之浦団石)に禅坐す。

日光山中奥権別當四十三世前大僧正昌源大師は、釈門傑出の誉れを挙げて、天台抜粋の名を得た日光山中興の祖なり。

時に昌源大師、接化の帰りに西嶺を顧視すれば、紫雲隱々として靉靆し、瑞光赫々として輝映す。大僧正は、山中に必ず大徳の聖者有りて尊居すと思料し、従僕を避けて、独り山中に趣き、四方を願えば、永謙禅師が石上に禅坐し、端然として安心するを視る。

大僧正、奇怪の思いを作し、問うて云く、「師は是れ何人ぞ、何の所以に恁磨に坐禅す。」と、永謙禅師が答えて云く、「世俗の紅塵を離れて山林の幽閑を甘い、安楽の法門を観じ、一味の法性を念ずる事は幾多の歳月を経たり、然るに単伝の禅法を世に興隆し、一切の群迷を救度せんと欲するに、時未だ到らず、僧房は身を寓するに一字も無し。」、大僧正云く、「善哉。我、師を外護し、且つ方外の弟子と作りて、精舎を造立し、法席を扶け、大法を荷担して仏恩を報ぜん。」と、永謙禅師云く「如是如是。」と。

大僧正は即日に伽藍を造営し、禅侶を安居せしめ、自ら山号を紫雲と号し、寺を瑞光と呼ぶ。此れより、永謙禅師は甘露の妙門を開き、無上の法輪を転じて、盛名は十方に聞こえて、禅客は大いに参玄せり。

恭く以れば、両者は異宗他門の交わりと雖ども、?啄同時するは、凡流の所作に非ず、諸天菩薩の加護にして、末世の迷流を憐み、善巧方便之利益を設ける者歟。

其の後、坂田城主(通称鹿沼城)鹿沼右衛門尉、外に仁成を施し、内は仏乗に帰依す。是の故に、寺を市廓の隣境に移し、以って勝福を祈るの地と為す。然りと雖も、永謙禅師は深く塵埃の巷を嫌らい、泉石の癖有り。

暫くして、伽藍に火災有りて、境内は焦土なる事、幾度か有り。

依って、寺を旧地に復し、且つ又、火難消除の為に山号を近隣の観音菩薩に寄付す。(千手之山号を紫雲山と云うは是れ也)

然る後、山号を玉田と改め、火災潜消して諸堂安鎮なり。

爾来二百二十有年の後、江戸幕府に依って御朱印地二十石を賜り、徳川氏の祈願寺となり、元禄七年大本山永平寺より別格地の称号を允されて現在に至る。

伝説の陳篇に依って開基の大略を誌るす。

曹洞宗 玉田山 瑞光寺